少々ブログをサボっていましたが、前回につづいて文学的な話を少し。
読書の秋ということもあり、最近はいつもと違う本を読んでいます。前回、古典を読み進める、と宣言したわりには、あまり順調ではありません。
古典を物色しようと本屋に立ち寄るも、Dan BrownのThe Lost Symbolが発売されたため、どの書店も大々的なキャンペーンが。たまたま日本でAngels and Demonsの映画を見たせいか、はたまたユアン・マクレガーのあまりのカッコよさのせいか、なんとなくDan Brownが気になって、文学作品を買うつもりが気がつくとDa Vinci CodeとAngels and Demonsが手元に… (なぜかThe Lost Symbolは買っていません)
これではイカンと思い、即効で読みきることを決意し、その勢いでAngels and Demonsを一気に読み、The Da Vinci Codeも残り100ページくらいまで読み進めました。
Harry Potter全7巻に鍛えられたからでしょうか、物語に関しては、洋書を読むスピードが日本語で読むのと対して変わらないくらいの速度になってきた気がします。
とはいっても、アカデミックな本や、古典文学作品はそうはいきませんが。
Harry PotterもDan Brownの作品もそうですが、これらはあくまでエンターテイメント。物語の世界に入り込むことはあっても、自己と現実世界の関係性とでもいいましょうか、あるいは人格形成、世界の認識の仕方とでもいいましょうか、そういうものには影響を与えません。
そう、僕の中での活字エンターテイメントと文学の境界線は、その作品が僕を物語の世界に引き込むのか、あるいは現実世界へと放り込むのか、この一点に尽きます。
「現実世界に放り込む」とはどういうことか、今日はまだ他に書きたいことがあるので、説明はそのうちに。
さて、では文学の話を少し。
前回のブログで、1900年前後のドイツ語圏の文学を読み進めたいと言いましたが、それには漠然とした理由があり、この辺りの作品は、権力への反抗、正義の追及、そして、良心とは何か、ということを見事に描ききります。
当時の時代精神がそうさせたのでしょうか。
と、ここまで書いて、なにか今までのモヤモヤが少しだけ結晶化してきました。
近年の日本ではあまり見られなくなりましたが、昔は文学作品の主人公の生き方を模倣する、とまではいかなくても、主人公を自己に投影させることが日常的だったような気がします。60年代に学生だった人にはよくわかる話だと思います。60年代の政治闘争があんなにも盛り上がった理由の一旦も、その頃はまだ広く読まれていた古典文学が当時の若者に影響したからかもしれません。
なぜそう思ったか。
僕の好きな、ミュンヘン大学の学生レジスタンス・グループ「白バラ」。
そのメンバーの一人、Sophieに焦点をあてた、「Sophie Scholl: The Final Days」は、このブログでも以前紹介しましたね。まだ見てない人は是非DVDで見てください。
当時のブログの一部を抜粋します。
「舞台は、ミュンヘン。
ヒトラー打倒を市民に呼びかけた学生レジスタンス・グループ、「白バラ」のゾフィー・ショルにスポットを当て、逮捕から死刑までの5日間を、公開された新資料をもとに描いています。
言論の自由が許されない状況において、そして、それを犯すことが意味することを知っていながら、それでも信念のままに行動するゾフィー。
その彼女を突き動かすものは、人間の尊厳に対する深い思いか、あるいは正義への信念か。」
このブログを書いた当時は、「彼女を突き動かすもの」の存在がわかりませんでした。
背後に深いキリスト教の精神があるのはなんとなくわかっていましたが、キリスト教を僕に理解するのは不可能な話し、とそこで追及するのを諦めていました。でも良く考えてみると、彼女がゲーテやシラー、トマス・マンの作品をこよなく愛しており、それらの作品が彼女の人格形成に少なからぬ影響を与えたのではないか、と考えてしまいます。
そう考えると、日本人の文豪で、あるいは知識人で、今の日本人の人格形成に影響を与えることの出来る人物がどれくらいいるのだろうか、などとも考えてしまいます。
先に挙げた、「権力への反抗」、「正義の追及」、「良心」、という文脈において、現在の時代精神に通じる文豪、知識人がパッと浮かびません。プロレタリア文学がなんとなく近い気がしますが、どうもしっくりいきません。
僕の日本文学に対する無知ゆえ、正確なことは言えませんが。
天皇制や共産主義がアクチュアルな問題として感じられなくなった現代で、それらとの絡みで「自由」や「平等」が謳われている文学なり思想は、やはり今の時代精神にはスッと入ってこない。
普遍性が古典を古典たらしめる理由だとすれば、その意味で古典と呼べる作品が日本にどれだけあるのだろうか。
例えば、本居宣長と上田秋成、あるいは福沢諭吉や夏目漱石。皆、偉大な作品を残しているけれども、そして、日本人として読んでおくべき作品を残しているけれども、普遍性があるかといえば疑問符が。
う~ん。書いていて文章が全然まとまりません。ブログのアップしていいものなのか、悩みますが、とりあえずアップします。
こんなんですみません。